神様の夢を叶う人生(創世記 23:12~20) サラは百二十七年生きました。消して短い年数ではありません。しかし、幾ら生きたかは重要ではありません。何をして、どう生きたかがもっと大事です。サラの一生は意味あり、生き甲斐があるものでした。素晴らしい事、偉大な業績を残したこともありません。神様の前では幾ら素晴しい事をしたか、多くの事をしたかは重要ではありません。神様が願う生涯を生きたかが重要です。サラの子は約束の子で、後にその子孫から救い主メシヤが生まれます。神様が願う人生を生きた人は聖書に多くいます。イエス様の母マリヤも、殉教者ステパノも、異邦人伝道者である使徒パウロも、そしてイエス・キリストも、唯、一つ、神様が願う御心に従って生きた人生でした。皆さんの人生の意味は何で、生きる目的はなんでしょうか。本箇所では神様が願う人生として生きようとするアブラハムの姿が現われます。サラを葬る場所をヘテ人から買おうとします。ヘテ人たちはアブラハムを神のつかさと言いながら、何度も差し上げようとしましたが、アブラハムは代価を払い、エフロンの畑地と彼の所有のマクペラのほら穴を買います。アブラハムがこのようにした理由は、その地は神様が約束した地だからでありました。カナンの地のキルヤテ․アルバ、ヘブロンは神様がアブラハムに初めから約束した地でありました。それでアブラハムはその小さい土地を買い、神様の約束の地、祝福の地に造ろうとしています。そこで神様の御心とビジョンを実現して行きます。これが信仰です。そして、神様の夢を叶う人生です。
日曜学校 子供礼拝
地上の諸国民が受ける祝福(創世記 22:15~19) アブラハムの信仰のテストは終わりました。彼の従順は神様の願う信仰でした。従順より確かな信仰は無く、又、大きな信仰もありません。祝福は従った人、信仰のテストに合格した人に与えられる特権です。テストの核心は、イサクを捧げる事ではなく、アブラハムの信仰の従順をみることでした。神様はご自分にかけて 彼を祝福すると誓われました。神様は必ず約束を守られます。神様の約束は真実です。 神様の祝福は物質ではなくイエス・キリストです。イエスを信じること、伝えることがまことの祝福です。アブラハムの子孫から、全人類を救うメシアであるイエスが生まれる故に、アブラハムは信仰の父となりました「あなたの子孫によって、地の全ての国々は祝福を受けるようになる」。私達はその約束を信じる諸国民 です。イサクはイエス・キリストの予表です。イサクが後にリベカを花嫁として迎えるように、イエス・キリストは天に昇られましたが再びこの世に来られて教会を花嫁として迎え、祝福の約束が成就されるのです。