Archive for 11月, 2010

Posted on 11/29/2010 at 00:18, by webby

イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき

イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき

イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、

マタイによる福音書 / 2章 1節

Posted on 11/29/2010 at 00:13, by webby

彼らはそこで、イエスを十字架につけた。

彼らはそこで、イエスを十字架につけた。

彼らはそこで、イエスを十字架につけた。イエスをまん中にして、ほかのふたりの者を両側に、イエスと一緒に十字架につけた。

ヨハネによる福音書 / 19章 18節

Posted on 11/29/2010 at 00:09, by webby

主にむかって手をさし伸べて、

主にむかって手をさし伸べて、

夕の供え物の時になって、わたしは断食から立ちあがり、着物と上着を裂いたまま、ひざをかがめて、わが神、主にむかって手をさし伸べて

エズラ記 / 9章 5節

Posted on 11/29/2010 at 00:04, by webby

歌う者は前に行き、琴をひく者はあとになり

歌う者は前に行き、琴をひく者はあとになり

歌う者は前に行き、琴をひく者はあとになり、おとめらはその間にあって手鼓を打って言う、

詩篇 / 68篇 25節

Posted on 11/28/2010 at 15:40, by webby

2010年11月28日 先週のメッセージ要約

大きな恵みと大きな感謝(ルカの福音書 17:11-19)
人は尊い存在です。なぜなら、神様の御姿に形取られたからです。人の姿には神様の姿があります。しかし、人に罪が入った時、人の尊さはなくなりました。そして、人の判断は物質的なものによって、判断するようになりました。お金や物をどれだけ持っているか。地位と権力があるかなどが判断基準になりました。
ところで、人がどんな人になるかは、物質的なものでは判断できません。人には格があります。その人格は神様の神格から来たものです。しかし尊さを失った時、人格も失いました。
ところで罪人である私たちのため、神様は一人子、イエス・キリストを天から地に送り、私たちの罪を背負わせ、十字架に架かって死なせました。それによって私たちの罪が赦されて、救われ、永遠のいのちと共に神の御国に入る特権を得たのです。
この神様に出会った時、人は変わります。過去の過ちを悔い改める時、新しい人に変わります。罪赦されて真の礼拝と賛美が出来ます。罪人であると告白する時、恵みを受けることが出来ます。
信仰は神様に出会うことです。そして、癒されます。教会は、神様の前で大きな恵みを受け、癒され、新しく創りかえられる所です。望みがない人が望みを持ち、愛されなかった人が真の愛を受けます。そこに大きな感謝があります。
アーカイブ お問い合わせ ログイン