Posted on 03/20/2011 at 12:39, by webby

2011年3月20日 先週のメッセージ要約

主の慰めを受ける人(創世記24:60~67)

 結婚の過程は救いの過程と似ています。結婚が神様の摂理と予定のように、救いも神様の特別な予定と摂理です。しかしいくら神様が私を愛し犠牲の対価を払ったとしても『イエス様は私の救い主、私の神様と信じ受け入れます』と言わなければ神様の子どもになれません。教会に足を運んで『私は神様を愛します』と言っ ても同じです。救いは『イエス様を信じます』と言わなければなりません。あなたが愛する人に『私はあなたが好きです。愛しています。あなたが欲しいです。』といくら言っても結婚は成立しません。『あなたと結婚します』と言わなければなりません。救いも同じです。イエス様を信じると言わなければなりません。
 結婚は相手のすべてを知った後にするものではありません。死ぬまで共に暮らしながらもお互いの事が分からないのが人間です。神様も全て分かってから信じるというのではありません。信じる、と決意する事です。ヘブル11:1に『信仰は望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させるものです』また同6節 には『信仰が無くては、神に喜ばれる事は出来ません。神に近づく者は、神がおられる事と、神を求める者には報いて下さる方である事ととを、信じなければならないのです。』と語っています。このような信仰を持つ人が神様の慰めを受けます。Ⅱコリント1:3~4『私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべて の慰めの神がほめたたえられますように。神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めて下さいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰める事が出来るのです。』神様から受ける慰めによって、私たちは苦しみの中にいる他の人を慰める事が出来ます。それが 教会です。

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