Posted on 11/07/2010 at 14:07, by webby

2010年11月7日 先週のメッセージ要約

アブラハムの執りなしの祈り(創世記 18:22-26)親しい人との間には隠し事が有りません。アブラハムのところに来られた神様は御心を語られました。それはアブラハムへの約束の成就と、もうひとつはソドムとゴモラからの叫びを確かめることでした。罪には叫び声があります。悲しみの、恨みの、嘆きの、苦しみの叫び声があります。神様はその叫び声を聞いて下さいます。エジプトでのイスラエルの民の叫び声も聞いて下さいました。確かめに来られた、と言うことはまだ機会を与えて下さるということです。この事を聞いたアブラハムは神様の前に立って語ります。「あなたは本当に正しい者を悪い者と一緒に滅ぼしつくされるのですか。もしや、その町に50人の正しい者がいるかもしれません。本当に滅ぼしてしまわれるのですか。その中にいる50人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか。正しい者を悪い者と一緒に殺し、そのため正しい者と悪い者とが同じようになるということを、あなたがなさるはずがありません。とてもあり得ないことです。全世界を裁くお方は広義をおこなうべきではありませんか。」(22~25節)アブラハムは神様に訴えます。それはその地にすむ甥のロトの事を考えていたからです。彼はアブラハムにそれほど有益な人物ではありません。彼は人間的な判断でその地に住む事を選びました。そのロトのためにアブラハムはソドムとゴモラの赦しを神に乞います。50人→45人→40人→30人 →20人→10人の人のために彼は神様に食い下がって憐みを求めました。神様の答えは、その人数の人たちのために滅ぼさないと言う事でした。これがアブラハムの執りなしの祈りです。私たちのために執りなしの祈りをして下さるお方、それは十字架に架けられて死にながらも私達のために執りなしの祈りをして下さったイエス・キリスト、この方以外にありません。

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