Posted on 09/22/2013 at 11:01, by α

敬虔な信仰生活

† 先週のメッセージ †
敬虔な信仰生活  (使徒の働き 16:22~32)

①敬虔な信仰とは、艱難の中にあっても、心が平安です。それから、感謝します。
苦しみは、信仰の土台となります。苦しみにあう時、信仰が試されます。
奇跡は、感謝する時に起きます。パウロとシラスは、獄中に入れられる苦難の中でも賛美し、感謝しました。ヤコブ書5:13では 「あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。」と言ってます。

聖徒は、環境を支配していく人です。平安というものは、静まった湖のように、安定した心の状態です。平安とは、大変な状況でも平気でいられることです。このような平安を受ける秘訣は、聖霊を豊かに受けることです。ガラテヤ書5:22では「御霊の実は、愛、喜び、平安」で、ピリピ4:4-7では「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。…そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」

聖霊様に満たされる時、神様に祈る時、心に平安が訪れます。人生の中において、平安になることを願いますか。聖霊様に満たされ、神様に祈る時に、心の平安を得ることが出来ます。環境を見ずに、主を見上げなさい。環境と病気と物質的な物を見るなら、絶望だけです。貧しい人が自分を見る時に、望みがあるでしょうか。病気の人が自分の病を見る時に希望があるでしょうか。ところが、主だけを仰ぐと、心に平安が訪れます。

②敬虔な信仰生活とは、逆境の中にあっても、神様の前に真実な信仰生活をすることです。
パウロとシラスは、獄門が開かれても逃げずに看守の命を救いました。良心の声を聞き、聖霊様の導きを受けた人です。エペソ5:8-9では「あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。―光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。―」光の実として生きることを願います。

③敬虔な信仰生活とは、苦しみと艱難の中にあっても、神様に忠誠を尽くすことです。
そのことによって、獄中の看守と家族が救われます。私たちは、敬虔な信仰生活をするべきです。けれども、私たちの力では出来ません。聖霊が私に臨まれる時に出来るのです。そのために、祈るべきです。聖書を読みます。主のために奉仕すべきです。神様を熱く愛するべきです。神様を愛する証拠は、教会を愛することです。牧師を愛することです。そうすると、神様の平安が訪れます。

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