Posted on 08/26/2012 at 01:29, by α

神ご自身の満ち満ちた様にまで

† 先週のメッセージ †
神ご自身の満ち満ちた様にまで (エペソ人への手紙 3:17~21)

旧約では、神様が正義で裁く神様の姿として映されました。しかし、イエス・キリストがこの世に来られてからは、神様のイメージが本来の愛と憐れみの姿に見えました。使徒パウロは「天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。」と、神様を家族を意味する「アバ父」の呼び名で呼びました。その神様の愛は人の罪より大きく、神様の忍耐は人の不従順より深く、神様の憐れみは人の高慢より高く、神様の懐はどんな罪人さえも抱き締めるほどに広く、父なる神様の愛の心臓はどんな罪の剣も抉りとれません。神様を父と呼ぶパウロは、教会と信徒のために祈ります。

①内なる人を強くして下さるように祈ります。人々は霊の糧より肉体の糧に関心が多く、霊の健康より肉体の健康に関心が多く、天よりも地上のものに関心が多く、内なる人より、外なる人に、そして現実の問題に関心が多いのです。キリストの内に新しく造られた人は外なる人が衰えて行き、内なる人が日々新しくされます。また「その栄光の豊かさに従い、」と祈り、神様の栄光の光を豊かに受け、育てられることを祈ります。そして、②愛に根ざし、愛に基礎を置くように、その内なる人の主人はキリスト・イエスです。そのキリストが信仰によって、心の内に住まわれるように祈ります。③それは、人知をはるかに越えたキリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さが、どれほどであるかを理解する力を持つように祈りました。

愛の広さとは、罪人さえ抱擁するイエスの愛の包容性です。愛の長さとは、十字架の死に至るまでの愛の永遠性です。愛の高さとは、天の御座を捨てるイエスの愛の知高性です。愛の深さとは、限りなく赦す愛の深淵性です。これを悟ると、その豊かさの中で発見されるのが礼拝と「教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。」(21)そして、イエス・キリストの体なる教会です。

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