Posted on 11/06/2011 at 01:13, by α

ユダの失敗

✝ 先週のメッセージ ✝
ユダの失敗(創世記 38:1~11)

聖書には、人間の罪を隠さないままに書いています。しかし、その罪を犯して人を神様の恵みと摂理の中で祝福に変える神様の御業があります。イザヤ書1章18節には『さあ、来たれ。論じ合おう。」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。」と罪を赦す神様の愛が書かれております。それは私たちの罪より、神様の愛がもっと大きいからです。
ユダの失敗は、群れから離れたことから始まりました。38:1 『その頃のことであった。ユダは兄弟たちから離れて下って行き、・・・』信仰共同体を離れた時、危機に遭います。なぜなら、その地は、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神様が祝福した地であるからです。そこに神様の名前が、神様の物語があり、その話を聞いて生きるのです。神様の約束の中で生きます。信仰共同体、家族共同体、神様の約束がある地を諦め、異邦世界に入る、間違った選択をしたのです。そこから問題が始まります。ユダの3人の子どもたちは、異文化の中で育てられました。それで、長男と次男が神様の御怒りで死にました。長男の妻タマルは、舅ユダを騙して赤ちゃんを産みます。このような人間の有り様ですが、神様は、この異邦人の女タマルを通して、メシヤの系図を続けています。『アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。アブラハムにイサクが生まれ、イサクにヤコブが生まれ、ヤコブにユダとその兄弟たちが生まれ、ユダに、タマルによってパレスとザラが生まれ、パレスにエスロンが生まれ、エスロンにアラムが生まれ、』(マタイ1:1~3)これが神様の恵みで、愛で、摂理であり、祝福であります。私たちは失敗し、不道徳で、不信仰的です。しかし、神様の愛は永遠です。

You can follow any follow up comments to this entry through the RSS 2.0 feed.

Comments

メールアドレス

※印は必須項目です

アーカイブ お問い合わせ ログイン